2012. 05. 08

HP開設

こんにちは。HPで日記を書くののはじめての日です。

日記では日々の活動。忘れたくないことなど書いていこうと思っています。継続はチカラなり…毎日ではなくてもすこしずつの記録をとぎらせないようにしたいです。

さて、GWもおわりましたね…(いきなり)…みなさまはいかがお過ごしでしたか? わたしは大地震から1年以上たち、遅きに失しているとは思いましたが、宮城県に農地再生のボランティア活動にいってきました。

津波がおしよせてきた農地にはさまざまなモノ、そしてなにより海の塩が残留しています。大きな瓦礫はすでにとりのぞかれていますが、津波といっしょに流れてきた海砂のなかにはいろいろなものが埋まっています。ガラス破片・食器・壁材・意味不明の金属片ビニール片木材片…書き始めたらキリがありませんが…それらをクマデなどを使って取り除きます。なかなかさくさくすすんでくれない作業ではありますが、機械でできないことはにんげんの手でやるしかありません。

このような土地が、おそらく東北沿岸にはあまり考えたくもないくらいあることを思うと、ボランティアができることは小さなことすぎるのかもしれません。。…でも誰かがそこのガラス片を拾えるものなら拾ったほうがいいとも思うので、3日間ちくちくと作業をしてきました。

こまごまとしたモノを取り除いたあとの農地には、新しい土がかぶせられて野菜づくりがはじまる予定です。…もともとは水田だったその農地で野菜づくりをするのは本意ではありません。かといって塩分がのこる土地ですぐに水田をはじめることもできません。これからしばらく「待つ」ことがしごとになってしまいます。

今回、東北に行ってみて印象的だったことは、地震と津波がもたらした傷の大きさと、それににもかかわらず輝くような東北の自然・東北の春の美しさです。たまたまさくらの時期と重なったのですが、朝夕かなり冷えこむ気候のなかで、時間が止まったように満開の花を咲かせる木々は独特のたたずまいです。そのほかの花もいっせいに咲くので、いろとりどりの春が、津波のあとの凄惨な光景と同時に存在していることに、激しく胸を打たれました。

これから被災地はどうなっていくのでしょう? 被災しなかった者たちにはなにができるのでしょう? 東京に暮らしていると、すっかり日常がもどったような錯覚に陥りますが、まったくそんなことはない…と思い知らされました。つらい事実です。でもつらさが身にしみなければ(にんげんはあまり賢くないようです)、そこからぬけだす智恵も生まれてこないのかもしれません。ささやかな体験から、言えることはあまりないような気もしますが、これからも考えつづけ、なにか行動にうつせることがあったときは躊躇せず行動できたらいいなあ…と思います。

写真◉南三陸町の防災対策庁舎…津波の威力の象徴となってしまった建てものです。わたしが作業していた気仙沼市本吉町小泉地区と南三陸町は車で40分ほどだったでしょうか。海岸線は行けども行けども津波で破壊されていました。